2014年4月18日金曜日

マルタ生活 〜パーチャビルという異常な飲み屋街〜

マルタはリゾート地としてヨーロピアンには有名です。

マルタのパーチャビルといえば、
マルチーズからしたら「週末絶対行く!!踊るならそこ!」
ってくらいポピュラーな飲み屋街です。

パーチャビルはここ
google map

でも「飲み屋街」なんて簡単な言葉に当てはまらないくらい、
ディープで激しくて汚い街なのです。

カメラマンをしているマルタ在住の友人は、
「あそこは世界でもまれにみるやばいスポットだよ。
 撮りたいけど、カメラ出したら危ないし。
 でも、カオスな雰囲気は一度で良いから撮ってみたい」

と言わせるくらい異様な街なのです。

私も何度も行きました!
最初は怖いもの見たさ、
次からは我を忘れて踊るため、飲むため、騒ぐため!


パーチャビルのお祭り騒ぎは夜12時から始まります。
夜10時なんてお店はガラガラ。
12時になる頃にやっとお店が超満員になり、
もみくちゃになりながらダンスをします。

パーチャビルの街には何件ものクラブがあるのですが、
若者向けのキャッチーな音楽を常に流すところから、
サルサのラテンミュージックのみを流すお店、
ブラックミュージックのみを流すお店etc…

選び放題!

なにより地元民や留学生、観光客を魅了するのは、
入場料無料であること。

ドリンクをオーダーしなくても、ひょいっとお店に入って踊れるのです。

遊ぶ事に疲れたら、パーチャピルにあるビーチまで足を運んで、
真っ暗な海を見ながら疲れを癒せばいい。

至る所にある吐瀉物
至る所にいる警備員
至る所で老若男女が騒ぎ、
どうやらドラッグもはびこっている。

こんなカオスな街を見たのは初めてでした。

2014年4月2日水曜日

マルタでの日常 〜語学学校NSTS〜 Study English In NSTS

マルタ滞在中、私はNSTSという語学学校に所属していました。

NSTSを選んだ理由は、

・マルタの語学学校の中で一番歴史があり、信頼できそう
・日本人スタッフが週に一度カウンセリングしてくれる
・アクティビティが充実している

という事でした。
エージェントが押していた学校だったから、良く思えたのでしょうが、

実際選んで大正解でした!!

まず、日本人が少なめ
丁度私が行ったときは日本が春休みの時期ということで、通常よりは多くいました。
でも、4月にはほとんどみんな帰国してしまい、
結果数ヶ月日本人は学校に2・3人いるくらいでした。

そして、生徒の質が良い!
主にヨーロピアンが多く、
フレンチ・ベルジャン・イタリアン・スパニッシュ
等、南ヨーロッパのラテン系がたくさんいたので、常に雰囲気が明るかったです☆

学校によっては、アジアン中心のところや、
アフリカン・アラビック中心に
生徒がいる学校もあったので、自分の好きな雰囲気によって
善し悪しはあるのかもしれませんが、

私はヨーロッパ文化が好きだったということもあり、
ヨーロピアン多めの雰囲気は好きでした。


期待していたアクティビティはとても充実してました!
毎週、ほぼ毎日のようにアクティビティがあったので、
最初の1ヶ月ほどはまったく退屈しなかったのです。

ただ、そのアクティビティは同じ事が繰り返されるので、
その後は仲良くなった友達とお茶したり、買い物したり、
マルタのお祭りを見に行ったりと、
アクティビティには参加しなくなりましたが…


世界中に友達を作る方法 始まりはいつも乾杯!からだった

留学してからすぐに友達が出来る人が多いようですが、
クラスメイトと友人になるのはごく自然な事。

留学中、いろんな国の文化を体験したかったので、
こんな風に友達を作っていきました。
↓↓

まず、飲み会や学校行事に積極的に参加する!


お酒の席って、その人の本来の姿が見える場所だと思うのです。
日本文化に興味を持っていて、近づいてくれる外国人もいれば、
同国出身者とばかりつるんで楽しんでいる外国人もいるし、
はめを外しすぎちゃってる人もいれば、
ただ一人たたずんでいる人もいます。


はめを外しすぎちゃっている人には近づかないようにして、
私は気になる人のところへ行き、

「こんちには〜(HELLO)」

と話しかけるようにしました。

そして私の決まり文句

「とりあえず、乾杯〜(So,Cheers!)」

と言ってみて、反応見て、
話しやすそうだったら、

「あなたの国の言葉で乾杯ってどういうの? 」

と尋ねてみます。

だいたいの方は笑顔で教えてくれます。
そして相手方の文化を聞いたり、日本文化をレクチャーしたり、
そんなこんなしているうちにあっという間に仲良くなってしまいます☆



ちなみに世界の「乾杯」

フランス・ベルギー…「ソンティー!」
イタリア…「サルーテ!」
ロシア…「ダズダローヴィエ!」
フィンランド…「キッピス!」
韓国…「カンペー!」



その時習った発音が難しくて、カタカナにすると変かもしれませんが…

とにかく、「乾杯!」で挨拶すると
世界各国に友達がたくさんできます。

すでに「乾杯」を知っている国の子には、
「どこの国から来たの?」
と聞いてから、
「乾杯は○○っていうんでしょ?」
って話しかけると、
だいたい盛り上がりました!!


その後、ヨーロッパバックパックの旅で、
マルタでこうして交流した子のお家にホームステイさせてもらったりしたのです。


言葉の壁はみんな同じで、
壁の破り方は人それぞれ。

私のやり方は、「乾杯!」でした。


ベルギーのパブにて「神は私たちを愛し、私たちが幸せになる事を求めている。ビールがその証明」


2014年3月5日水曜日

マルタでの日常 〜住んでいた学生寮ハイベルニア〜 I stayed in Hibernia in Malta for 4month

マルタでの生活が始まった際に、私が住んだアパートが
スリーマ地区にあるハイベルニアです。

学生寮なのですが、ユースホステルも兼ねていて、
旅行者サイトでも普通に予約できます。)
学生よりも長期でマルタに滞在する外国人や、旅行者のほうが
多くいました。


私はこのハイベルニアがとにかく気に入りました!

・海が近い
・お散歩コースが充実している
・夜の遊び場であるパーチャビルまで歩いていける
・観光客が少ない
・学生が少ないので、安定した自分の生活が送れる
・治安が良い
・学生さん以外の方とも交流できる
・現地に自立して住んでいる自覚が芽生える

利点はたくさん!

語学学校で連携している学生寮はもう一つあって、
そちらはキャンパスという名の学生寮。
キャンパスはハイベルニアよりも新しく、学校で開催する行事の会場にもなるので、
お友達をたくさん作りたい!
朝までわいわいするのが好き!
という方にはぴったりかもしれません。


私は、学生ノリが嫌いじゃないけれど、社会人になってからの留学だったし、
プライベートも保ちたかったので、ハイベルニアの大人の環境の方が好きでした。

第一海が徒歩5分の距離だし!(←ここ一番大事!)

もちろん、ハイベルニアに住んでいるからには覚悟は必要です。

・部屋は新しくない
・常に管理人がいるわけではないので、ある程度自分の身は自分で守る必要がある
 (キャンパスは常に学校から管理されていて、学生さんでも安心です)
→私はカードキーを無くした時や変な外国人に絡まれた時があって苦労しました。

住んでみてトータル的には、大満足!!

長期滞在なので、掃除のおばさんやおねえさんと仲良くなったり、
ハイベルニアの共有スペースで何度も寿司パーティを開いたり、
学生以外の友人ができて、最終的にはその子のアパートに泊まったり、

こんな経験が出来たのは、自由な環境だったからかなと改めて思います。



ハイベルニアから徒歩5分の海!
ランニングコース・お散歩コース充実していて、さらに海に入れます




2014年2月27日木曜日

マルタ到着!

フランクフルトからマルタまでの飛行機の中で、隣に座った方はマルチーズでした。
マルタ人の事をマルチーズといいます。
ジャパニーズ、チャイニーズ、フレンチ…みたいなのりで。

「Are you Germany?」

と聞かれ、日本人だと応えると、
自分はマルチーズだと紹介し、

なんでマルタに行くの? とか、 何している人?
とか、日本のご飯は何食べているの?

とか、話は盛り上がり、

私もマルタのおすすめスポットを教えてもらったりとかして、

話は大いに盛り上がりました!!

3時間ぽっきりのフライト時間があっという間に感じました。

到着して、自分の後ろかおいでと手招きされ、
飛行機からマルタの地に足をついた瞬間、
彼が振り向きこう言いました。

「WELCOME TO MALTA !!!!」

その時、さっと暖かい風が吹き、
マルタの穏やかな気候と
真っ青な空の青が高く広がる光景を見て、
さっと気持ちが切り替わりました。

あ〜、ここで約半年を過ごすんだという実感と、
たどり着けたという安心感。

それに何より、彼の暖かさに感動してしまいました。








2014年2月26日水曜日

一期一会の旅 羽田〜フランクフルト

まだ学校は始まっていませんが、いろいろな出会いがありました。

まず羽田からフランクフルトまでの飛行機の中。
私はルフトハンザとANAの合同運行便を利用したのですが、
ほとんど90パーセントが日本人の中、私の隣に座った方はドイツ人でした。

やたら陽気に「コンニチワ〜!」と話しかけてくれるおじさん。

日本の旅は素晴らしかったよ〜!とか、
いろいろ楽しそうに会話してくれました。
彼は世界中を飛び回るカメラマンだそうで、私がマルタへ行く事を知ると、
「4回撮影で行った事があるよ!美しい国だよ!そこで英語を勉強するなんてワンダフル!!」
と言ってくれ、おすすめスポットを教えてくださいました。

12時間のフライトを終え、
空港につく直前、私が会話の中で「フランクフルトの空港は広いから乗り換えが不安〜」
なんて話していた事を覚えていて、乗り換えの近くまでエスコートしてくれました。

ありがたい気持ちでいっぱいの中、入国ゲートでのトラブル…

私は長期滞在だったのですが、EU国はVIZAが必要なのです。
しかし学校側からは着いてから申請して問題ないと言われたため、何も気にせずいたわけなのですが、入国で捕まりました…

「なんでVIZA無いの?」
「学校からは後で申請するようにいわれたんです。」
「でもVIZA無いと入国できないよ?…オフィスにきなさい。」

どひゃ〜(>_<)

人生初入国拒否…

しかし、学校へ提出する書類全てを出し、懇願の目で見ていたら、「入っていーよ」と上の人がGoサイン出してくれました。

「楽しんで!」
と、最後は暖かい言葉をかけてくれた入国審査官…

ありがとう…楽しむよ。



その後、マルタ行きの飛行機が大幅に遅れているという事態。
そんなの許容範囲なのですが、入国拒否の痛手が…テンション下がりました。

なんとかかんとか出発ゲートにたどり着いたのですが、搭乗までバス移動。
そして運転が…荒い。

マルタエアラインの機長さんのお言葉がこちら、
「マルタ出発するの遅れちゃって、だからこっちの出発もちょっぴり遅れました。
でもしっかりマルタに行くから安心してね☆ではよい空の旅を!」

って…アナウンスフランクすぎないか?

なんだかツッコミどころ満載な予感です。










2014年2月23日日曜日

マルタ共和国へ!

マルタ共和国が私の留学先です。

マルタ共和国は地中海にある小さな島国です。
淡路島の半分くらいしかないこの小さな島国ですが、ものすごく深かった…

何故マルタ?ってよく聞かれるのですが、
私は留学先を迷わなかった人なので即答出来ます。

「文化がおもしろそうだったから!」

留学って英語を学ぶだけじゃなくて、文化や習慣を感じる事でもあると思うのです。

マルタ共和国という国は地中海の真ん中にあり、ヨーロッパ文化、中東文化、アフリカ文化のmixの国。

こんなおもしろそうな国で英語が公共語というすてきな条件。
即留学先に決定!



わたしの旅はこうして始まったのでした…

2014年2月16日日曜日

留学準備

留学準備も終盤にさしかかりました。

このBlogが誰の目に止まるか分からないけど、
メモ程度に残しておきたいと思います。

2013年
4月〜
留学国決定!
(迷わなかった。もう、見た瞬間、ビビビで決定!)

8月
退職の意思を伝える。
本格的に準備を進めようと意気込む。
みんなに言いまくる。

9月
極力お金はかけたくない主義。日本のエージェントは使わず、無料の仲介会社を探す。
2つの会社に連絡を取り、フィーリングで現地のエージェントに決定!

10月
語学学校を絞る。

11月
会社忙しすぎて、留学の準備いったん中止。
がしかし、エアチケットが安くなっていたので購入する。
留学中、バックパッカーでヨーロッパを1ヶ月旅する計画を練る。

12月
語学学校決定!
現地の滞在先決定!
エアチケットの買い直しをする。(もっと良いエアチケット発見したため)

1月
退職
退職に伴う、社会保障の各種手続き確認。
(健康保険、年金、住民税etc...)
留学先で主に使用するクレジットカード確認。
(国際デビットカード作成)
持ち物確認
保険証が切れる前に気になる身体の不調をメンテナンスすべく、医者へ...

2月
社会保障の各種手続き
海外旅行保険加入
学校に必要な提出書類集める(BK、保険、顔写真etc...)
パッキング

あ〜
長かったような、
早かったような…



2014年

気づけば2014年に入っていました。
2013年は私の中で待機の年でした。
これといってとってもすごいことがあった年でもなく、
ものすごい悪いことがあったかといえばそうでもない、
ごくごく普通のことをこなした年だったなと感じます。
会社の部署異動があり、新しい事へ向けて飛び立つ抗体はできました。


それもすべてこの2014年にむけての準備期間だったからでもあります。

海外留学

これに向けて一年前からコツコツ準備してきたのです!!

1月に5年間お世話になった会社を退職しました。

別れが辛すぎて、2月前半は抑うつ状態で、
誰かと逢っていなければ立ち上がれないほど衰退しました。

会社の送別会Part1~4
友達からのいってらっしゃい会、
ユコさんとの会合、
英語教室のみんなからのVonVoyage会

ありがたい気持ちでいっぱいになりました。
こんな私でも、日本から少し離れる事を寂しいと感じてくれたり、
応援してくれたりする仲間がいたんだな...

幸せを感じながらも抑うつの感情は日に日に増していくのです。

今になって感じるのは、嫌いだと思っていた職場は本当は居場所になっていて、
わたしの存在価値を形にしてくれていた場所だったのだなという事です。

それでも辞めて後悔はしていないはず。

いまからもっともっとがんばらなくちゃいけない事がたくさんあるのだから...


ある人は「がんばらなくてもいいんじゃない?」
って言ってくれました。

その優しさに救われました。

でも、がんばろう!がんばらなくちゃ!
って言い聞かせる事にします。

私の恩師が最近言った言葉は「もっとがんばらなくちゃ!」でした。

恩師は私より100倍努力をしている方。
その恩師ががんばらなくちゃというんだから、
私はその100倍がんばらなくちゃ、その目標は達成しないのです。

がんばると人はついてくるんだよ。

って笑いながら言った事を胸に抱きながら、もう少し先に手を伸ばそうと思います。

夢はすぐそこまで近づいているはず。












2013年9月28日土曜日

これからのこと

これからの事を考えると不安になります。

一年に新しい事を二つもしなきゃいけないから、不安でたまらないけど、

これを乗り越えなくちゃ何も動けないからやらなきゃいけないって自分に言い聞かせて動くのです。

不安、不安とばかり言う私を見て、恩師から「あ、んじゃあやらないんだね?」と皮肉を言われ、

「あー!やります、やります!(このチャンスを他者に渡してたまるか!)」と

焦って言うわたし。。

情けない…


もっと強くならなくちゃ。

まずマイナスを考えてから進む、石橋を叩いて渡るスタイル。

これが私なのです。






2013年9月16日月曜日

最近の国際スキル

久しぶりの更新になります。

Sukimagの方は微量ながら少しUPしていたものの、自己のBlogは全く手をつけていないという…


職場の異動はけっこうすぐ慣れたものの、今までの忙しすぎる仕事量に一息つきつつ、
平日は英語のもう特訓!

9月の三連休である今日、私はやっと自分と見つめあえる、ありあまる時間がとれたのでした。


このBlog、未来の自分への記録として機能しているわけですが、半年の自分を書き残しておきましょう!



この半年毎日のように頑張っていた事!それは英語の勉強です!

半年でだいぶ上達しました!自分で言えちゃうくらい努力しました!


夏のある日、公園でヨガ&ランニングをしていたところ外人さんと出会いました。

「この辺の観光スポット教えてくれない?」

という言葉に始まり、一気に友達に。


一日目は友人と一緒に飲みに行った程度だったのですが、二日目は私一人で、英語のみでの観光案内をすることに!!!



思い返せば一年前、フランスの友達が遊びに来てくれたところ、英語しかわからない友人に上手く想いを伝えられず、ものすごい悔しい思いをした事を思い出しました。

しか~し!


今年の私は成長しています!!!

フィンランド人一人、フランス人二人の三名様に、仙台を楽しんでもらう事が出来たのでした。

帰った後にFacebookにメッセージとうれしいコメント

Thanks you a lot! Your tour guide was parfect!


わ~

一年でちょっと成長したかもしれない~

といううれしい出来事。

この三人とは今もFacebookで繋がっています。

こんなに遠い距離に居ながら、近くにいるように会話できるインターネット環境。
ほんとうにありがたいなと思うし、
世界に友達が出来てうれしくなりました。

この経験を期に、私の英語上達熱が一気に加速したのでした。




2013年7月27日土曜日

ポストカード作り

フリーマーケットに向けて、自身でも手作りの物を販売したいと思い、ポストカードを作ることにしました!

初めてのzine作りから少し経って、久しぶりの紙物です。

ポストカードの題材は海外でとりだめた写真たち!

フランス、メルボルンの写真を使って作りました☆



当日売れるか心配でしたが、大雨なのに見て下さる方が多くて…

たくさん売れてくらたし、たくさん見てくれました。

自分が作った紙物が売れたのは初めてだったので、感動…


見てくれたみんなを抱きしめたくなりました。。

そんな思いで自分の作った子達を眺めておりました。


写真がんばろう!もっと表現者になろう!



2013年3月29日金曜日

いよいよ明日

いよいよ明日で最後の出勤になりました。

4月から異動が決まり、4年間いた土地を離れる事になりました。

同じ法人内だし、そんなに離れた場所でもないし、異動の実感なんて無かったのですが…


お逢い出来るのが最後の患者さんが、

花束をくれたり、
泣きながら抱きついてくれたり、
お手紙をくれたり…


そんな事をされてしまったら、

涙腺が崩壊します。


本当に別れが苦しくなりました。


4年間って短いようで、やっぱり長かったのだと実感しました。

ずっと、

私の支援って、みんなの役にたってるのかな?
私の言葉で嫌な思いをしなかっただろうか?

とか、自問自答した日々が思い出されます。

逃げ出したくなる時もあったし、
患者さんに怒鳴られたり、
時に意見がぶつかったりしたこともありました。

でも、行かないで~

って泣いてくれた姿と、

「身体に気を付けてがんばってね。きっと大丈夫だよ。」

って言ってくれた笑顔が私のバネになりました。


「俺がいないとだめだからな、ついていってやるか?」

って言ってくれるおじいちゃん。


いろんな思い出があった4年間。
私、幸せでした。

こんなにも大切にされていたって実感出来たから、
明日は最後の恩返しをしたいと思います。


明日はサプライズの送別会があるようです。
サプライズなのに私は知っています。

隠しきれず口が滑った方から聞きました。

今でも耐えきれないのに、明日のお別れが辛すぎます。


2013年3月24日日曜日

zine作り

zineという存在を知ったのは今年の春。

友人が自分で作って出版できる雑誌があることを教えてくれたのが始まりでした。

その友人は、『自分の世界をZineで表現すると同時に、以前から行っていたバンド活動でLIVEする傍ら、そのライブ会場でZineの販売をする。』という目標を達成しました!

Zineの存在自体、初めて知ったのに、そんなことをやってのけてしまう友人すごい!



Zineとは…
こんなサイトを紹介します。

日本語サイト →   mountzine
海外のZine好きのサイト  →  fanzines


私自信、写真が趣味だし、自己表現できる面白い手段だなと思い、
こんな本を購入。自由に遊ぶDIYの本づくり


ちょー楽しい!!もうわくわくが止まらず、作ってみることにしました。

写真選びやレイアウト、ひとりで考えながら作るのですが、楽しすぎて、
平日の時間があるときはZineの事を考えていました。

数日かけて作りあげた私の第一版はこちら↓




メルボルンで出会った写真をモチーフに作ってみました!

すごく楽しかった!!

しかし、かなり大変でした…


写真と文章は作っていて楽しかったのですが、印刷と製本が難しい!!

紙にもこだわってみたのですが、印刷が大変…

一冊作って満足していましたが、また作ろうと思います!!

次は本気で!




2013年2月11日月曜日

2012の終わりと2013の始まり


2012年、いろいろな事がありました。

一年前の自分の日記を見返してみると、どこかに飛び出したい欲望が強くて、
どうにかして新しい事に挑戦しようと必死だった事が伺えます。

↓↓こんな感じ
http://hicchiii.blogspot.jp/2012/02/1_29.html




2012年の終わりに悲しい事がたくさんあり、気持ちも落ち込みぎみの時間が続いたのですが、
今はやっと元気になりました。

そして、やっと創作意欲も湧いてきました。


振り返り日記になってしまいますが、残しておこうと思います。


2012年、達成できた事がいくつかあります。


* 初、一人個人旅行
* 一年でたくさんの旅をする(フランス&オーストラリア)
* 英語を勉強する


個人で航空券を手配して、土地勘のないところ、言葉の分からないところへ行く。
この経験は、私の人生の中でも価値観や世界観が変わる大きな一歩でした。

ほんとは度胸が無くて、とんでもなく抜けているところがある私がここまで出来たのは奇跡!

でもそれは私だけの力ではなく、周りの魅力あふれる人々とお話したり、応援してもらったり、
仲間がいたからだと再認識。


支えてくれた方、ありがとうございました!

















そして、友人とユニットを組んで作成しているWebサイトSukimag 
                                                            http://sukimag.com/

このサイトで、今まで考えていた私の「何かしたい!」という欲が満たされました。
そしてなにより、考えていた事を発言する機会があるありがたさに感謝します。


Webを常に整備してUPしてくれるユコさん
新しい発見と希望をくれるミドさん

ありがとう!









2012年の終わりには、人の最期を目の当たりにし、改めて自分の成り立ちを感じました。
そして、これからの人生で大切となるであろう事を見つける旅に、今年も出なければならないと再認識したのです。



そうそう、そして疎遠になっていたと思っていた友人や親族と会い、語った一年でもありました。


2012年、私とお話ししてくれた方に、たくさんの感謝と敬意を込めまして、


2012年ありがとうございました!
2013年、改めましてよろしくお願いします!





2012年12月9日日曜日

おじいちゃん

亡くなる知らせが多すぎる。


私の祖父が亡くなった。

世界は変わらず動いていて、人ひとりの命は尊いなんて

言葉上のデフォルメに過ぎない事を知る。




祖父が亡くなる前々日、私は母に呼ばれて実家に帰った。

祖父の意識は少しあって、私の顔を眼で追った。
わかる?って聞いたら、うなずいた。

そのあと何か言おうとするんだけど、声を出すんだけれど、声は空気を振動させる事を忘れたように、

カス…   カス…

と音が出るだけで…

じいちゃん、

あたし何も聞き取ることが出来なかった。

私にもっと勇気があったら、入院中がんばってるじいちゃんに、何度でも逢いに行くことが出来たのに。

そうしなかった自分をこんなに後悔した瞬間は無かった。

母親が席を離れようとするとき、
「行くな」って、声にならない声で呼び止めたよね。

それからどんどん意識が無くなっていったけど、じいちゃん家族みんなの顔を見るために呼吸をしようとしていた。


喉に痰が絡んで苦しかっただろうに。

痰をとってもらっている時、じいちゃん、生きることがこんなに辛いと感じることはなかっただろうね。






祖父の意識は、一日でみるみるうちに薄れていって、
祖父の大好きな人々に看取られながら、その長い人生の幕を閉じた。

声にならない声で、「うちに帰りたい」と言ったこと。

ご飯が大好きな人だったから、絶食中も空で食べ物を求めていた事。

母の事が大好きで、最後の最後で母の名前を呼んだこと。

「行くな」って声にならない声で、近くにいて欲しいって言ったこと。

祖母が誰も見ていない所で、意識が無くなっていく祖父の肩を抱きながら、
頬を摺り寄せながら泣いていた事。

目を見て、私の事を分かるとうなずいてくれたこと。

でも、あたしは「ありがとう」の一言が出てこなかった。

寡黙で穏やかな人だったから、私は怒られた記憶もない。

でも芯はしっかり通っていて、自慢のじいちゃんだった。




「良い人は最後も良い終わり方をするものだよ。」

ある人は冷たくなったじいちゃんの姿を見て言った。


自分で死期を悟ったかのように、
タイミングを見計らったかのように、
家族全員に見守られて逝ったじいちゃん。


お通夜も、お葬式も、
あたたかくて、

葬式なのに、みんな笑って過ごそうって言えたのは、

「じいちゃん、私たちが笑ってたほうが喜ぶからね。お通夜で笑っても、きっとじいちゃんも笑って見守ってくれるよね。」

って、みんながみんな思ったから。


じいちゃん、私は、じいちゃんみたいな大きくて優しい人を尊敬します。

天国があっても、ずっと見守ってほしいなんて言わない。



たまに気が向いたら、私を見てね。

あとは、もう苦しまなくても良くなった軽い身を、
ゆっくりゆっくり休ませてね。


2012年11月27日火曜日

支援者だけど

ソーシャルワークをしていると、いろいろな事をコワーカーさんから教わります。

人生の先輩から、いろんな言葉を頂くように、

一つの支援で、私が多くの幸せを貰います。

大切な仕事で、大切な私の生活の一部。


問題解決に向けて、一緒に悩ませてもらうから、
やっぱりその中の「死」は大きい。


人の死に関しては抗体は持ちたくないものです。

だから思い切り悲しみます。


2012年11月26日月曜日

相思相愛

H24.11.25 一つの尊い命がこの世界から消えました。


その命は、誰からも見守られることなく、
この世を去っていってしまいました。

その方には愛する一つの希望がありました。
同じ病気と闘った友人です。

その友人と彼の関係は、相思相愛としか言い表せません。

病める時も
苦しみも
喜びも

共に分かち合い
共に尊び
共に生きると誓った二人でした

病気の間の手が二人を別つまで、
二人は本当に生きる喜びをみんなに教えてくれました。

一人は根っからの明るい性格で、みんなの笑いをとり、少しでも辛そうなひとがいると、声をかけ、
顔を見て、にかっと笑う。そういう優しい人。

一人はそれを側で支えながら、その人が出来ない事をそっと陰でやってあげるような人でした。



社会の偏見と闘った二人でした。
精神病という病気が、まだ根強い偏見のもと、社会復帰をし、
社会生活を共に送ってきた二人。


私はそんな二人を近くで見守らせて頂く立場として、
こんな愛情が永遠に続くようにと、思わずにはいられませんでした。



25日の朝、ベットの横で冷たくなっている彼を見つけたのはスタッフでした。
皮肉にも、その日はもう一方が出かけていた日。

苦しかったのでしょうね。
助けを呼びたかったのでしょうね。

その方は、相方の部屋のベットの真横で、
胸を押さえながら、
そのまま冷たくなっていたのです。

最後の最後まで相方の側に居たかった彼の気持ちを思うと、

やるせない気持ちでいっぱいになります。


支援者として感情移入はしてはいけないのでしょうが、
もう一方の気持ちを思うと、胸が苦しい…


家族の愛情の薄いその方を想い、
思い切り喪にふくそうと思います。

私も、その方を忘れません。

どうか、天国で安らかに。
偏見の無い世界で、羽を伸ばして下さい。
もし来世があるのなら、どうか、もう、病気と闘わなくても良い身体で、
大切な人と共に幸せに暮らせる事を祈ります。


2012年11月4日日曜日

パラレルワールド

人は色々な選択をしながら今を生きていると思うけど、この選択をしなかったらどうなっていたかという仮説の道も同時に存在するのであれば、私は両方の道を生きることは出来ないのかと不意に願いたくなった。

選択一つで人生は大きく変わってしまうし、

正解かどうかなんて、

今後の人生を歩んでからしか分からないけど。



『パラレルワールド』に魅かれたのは、村上春樹の小説を読んだからという事だけではない気がする。

『もしこうなってたら』とか『もうこうしていたら』とか、過去を振り返るのは嫌いだし、後悔することはあっても、進んでいく事が後悔しないこれからの未来への一歩だと思っているから、過去に戻りたいとは思わない。

そして、間違った選択でも、もしかしたら必然的に起きるべくして起きたことだと思うことにしてる。


でも、今回は驚くほど迷うし、きっとどっちの選択をしても後悔するんだろうなと思う。

だから意味もなくおびえる。


もう悔しいほど

私の中の塊がぐにゃぐにゃと溶けて

つきものが落ちたように軽くなればいいのに





2012年10月11日木曜日

性善説と性悪説

性善説…人は生まれながらにして善い者である。

性悪説…人は生まれながらにして悪である。


あるエッセイ本を読んでいて、日本人は性善説で子供を育て、外国の多くの国では性悪説で子供を育てているようだと書いてあった。

日本人の子育てに登場する昔話は、必ずハッピーエンドで終わる物が多いのに対し、海外の物語はバットエンド物も多く見かける。


人間、基ははみんな良い人。支えあげれば悪いと思う人でもきっといい人に戻る。

そんな解釈をして子供を育てることが多いけど、そのエッセイ本では、世の中は怖いものだらけ。だから自分をしっかり持って生きなさいという教えが多いとの事だった。


我が家はそう考えると性悪説が主流であったと気づく。

物心がついたころから、「社会は怖いところだからな。生き馬の目を平気で抜くような世界が待ってるんだからな。だから礼儀を持って生きるんだぞ。」と、強く、強く言われて育ってきた。

泣いて嫌だといったのに、小学校終了の春休みに、無理矢理海外に連れて行かれ、「日本は狭い。世界を視ろ。」と尻を叩かれた。


もう…怖い世界に行きたくないよと下ばかり向いていた私の顔を、無理矢理上げたのは父親だった。

海外の乗り物に乗ったときは気をつけろよ。すぐにひったくられるからな。

そんな事を言われながら父親と廻ったヨーロッパ旅行。そこで見た世界は、日本とは違う生々しい貧富の差。そして、一人では生きていけないと思われるような別世界。

世界は怖い…

下を向き、下を向き、すれ違う人を見る事を怖がりながら歩いた世界。



しかし、私の性悪説を打ち砕いたのも世界だった。
「ほら、夜景を見てみろ。」

と言った先に広がったのは、夜の街を抜け、ある教会から見た海外の夜景だった。

淡いオレンジ色に染まった家々の明かり。柔らかかったし、「あれ?世界は意外と優しいかも」

そう思える優しい光であった。

そこから顔を揚げて世界を視たら、広くて、明るくて、びっくりするくらい心地よい。

あぁそうか。私が怖がっていたのは自分自身。悪は自分にあったのだと気づく。
もっと世界を視たい。もっと…


私の家はさほど優しくなかったし、怒るときは手も挙げられた。怒鳴られもしたし、父親はひどく厳格で、家族の絶対的存在であった。
厳しかったけれど、色々な世界に連れて行ってくれ、
色々な善悪をいやというほど、私に叩き込んでくれた。









そんな絶対的な父親が、癌になった。


癌の報告を受けたのが先週で、見たくない現実を突きつけられて一週間。

「お前が社会人になって、お金を自分でかせげるようになったらな、仕送りなんていらないから、色々なところに連れて行ってくれな。お父さん、お前とお母さんと旅行に行けることが一番いい。」

そんな事が口癖だった父親。

お父さん、私はあなたの子育てにまんまと乗ったようですよ。

親はまだ元気だとか言える歳でもないことが、身に染みて感じた出来事。

私もお父さんが元気なうちに、お父さんの望む立派な善になって、悪から巣立ちたいと思うんだ。

だから、長生きしてね、お父さん。







産まれました!

5月16日に3328gの男の子出産しました! 予定日プラス4日で産まれてきてくれた我が子。 私の出産劇はけっこうドタバタだったのですが、 助産師さんからは 「超安産でしたね☆」 のお墨付きを頂きましたので、きっと安産だったのだと思います。 陣痛中は、苦...