2014年2月16日日曜日
2014年
2013年は私の中で待機の年でした。
これといってとってもすごいことがあった年でもなく、
ものすごい悪いことがあったかといえばそうでもない、
ごくごく普通のことをこなした年だったなと感じます。
会社の部署異動があり、新しい事へ向けて飛び立つ抗体はできました。
それもすべてこの2014年にむけての準備期間だったからでもあります。
海外留学
これに向けて一年前からコツコツ準備してきたのです!!
1月に5年間お世話になった会社を退職しました。
別れが辛すぎて、2月前半は抑うつ状態で、
誰かと逢っていなければ立ち上がれないほど衰退しました。
会社の送別会Part1~4
友達からのいってらっしゃい会、
ユコさんとの会合、
英語教室のみんなからのVonVoyage会
ありがたい気持ちでいっぱいになりました。
こんな私でも、日本から少し離れる事を寂しいと感じてくれたり、
応援してくれたりする仲間がいたんだな...
幸せを感じながらも抑うつの感情は日に日に増していくのです。
今になって感じるのは、嫌いだと思っていた職場は本当は居場所になっていて、
わたしの存在価値を形にしてくれていた場所だったのだなという事です。
それでも辞めて後悔はしていないはず。
いまからもっともっとがんばらなくちゃいけない事がたくさんあるのだから...
ある人は「がんばらなくてもいいんじゃない?」
って言ってくれました。
その優しさに救われました。
でも、がんばろう!がんばらなくちゃ!
って言い聞かせる事にします。
私の恩師が最近言った言葉は「もっとがんばらなくちゃ!」でした。
恩師は私より100倍努力をしている方。
その恩師ががんばらなくちゃというんだから、
私はその100倍がんばらなくちゃ、その目標は達成しないのです。
がんばると人はついてくるんだよ。
って笑いながら言った事を胸に抱きながら、もう少し先に手を伸ばそうと思います。
夢はすぐそこまで近づいているはず。
2013年2月11日月曜日
2012の終わりと2013の始まり
2012年、いろいろな事がありました。
一年前の自分の日記を見返してみると、どこかに飛び出したい欲望が強くて、
どうにかして新しい事に挑戦しようと必死だった事が伺えます。
↓↓こんな感じ
http://hicchiii.blogspot.jp/2012/02/1_29.html
2012年の終わりに悲しい事がたくさんあり、気持ちも落ち込みぎみの時間が続いたのですが、
今はやっと元気になりました。
そして、やっと創作意欲も湧いてきました。
振り返り日記になってしまいますが、残しておこうと思います。
2012年、達成できた事がいくつかあります。
* 初、一人個人旅行
* 一年でたくさんの旅をする(フランス&オーストラリア)
* 英語を勉強する
個人で航空券を手配して、土地勘のないところ、言葉の分からないところへ行く。
この経験は、私の人生の中でも価値観や世界観が変わる大きな一歩でした。
ほんとは度胸が無くて、とんでもなく抜けているところがある私がここまで出来たのは奇跡!
でもそれは私だけの力ではなく、周りの魅力あふれる人々とお話したり、応援してもらったり、
仲間がいたからだと再認識。
支えてくれた方、ありがとうございました!
そして、友人とユニットを組んで作成しているWebサイトSukimag
http://sukimag.com/
このサイトで、今まで考えていた私の「何かしたい!」という欲が満たされました。
そしてなにより、考えていた事を発言する機会があるありがたさに感謝します。
Webを常に整備してUPしてくれるユコさん
新しい発見と希望をくれるミドさん
ありがとう!
2012年の終わりには、人の最期を目の当たりにし、改めて自分の成り立ちを感じました。
そして、これからの人生で大切となるであろう事を見つける旅に、今年も出なければならないと再認識したのです。
そうそう、そして疎遠になっていたと思っていた友人や親族と会い、語った一年でもありました。
2012年、私とお話ししてくれた方に、たくさんの感謝と敬意を込めまして、
2012年ありがとうございました!
2013年、改めましてよろしくお願いします!
2012年12月9日日曜日
おじいちゃん
私の祖父が亡くなった。
世界は変わらず動いていて、人ひとりの命は尊いなんて
言葉上のデフォルメに過ぎない事を知る。
祖父が亡くなる前々日、私は母に呼ばれて実家に帰った。
祖父の意識は少しあって、私の顔を眼で追った。
わかる?って聞いたら、うなずいた。
そのあと何か言おうとするんだけど、声を出すんだけれど、声は空気を振動させる事を忘れたように、
カス… カス…
と音が出るだけで…
じいちゃん、
あたし何も聞き取ることが出来なかった。
私にもっと勇気があったら、入院中がんばってるじいちゃんに、何度でも逢いに行くことが出来たのに。
そうしなかった自分をこんなに後悔した瞬間は無かった。
母親が席を離れようとするとき、
「行くな」って、声にならない声で呼び止めたよね。
それからどんどん意識が無くなっていったけど、じいちゃん家族みんなの顔を見るために呼吸をしようとしていた。
喉に痰が絡んで苦しかっただろうに。
痰をとってもらっている時、じいちゃん、生きることがこんなに辛いと感じることはなかっただろうね。
祖父の意識は、一日でみるみるうちに薄れていって、
祖父の大好きな人々に看取られながら、その長い人生の幕を閉じた。
声にならない声で、「うちに帰りたい」と言ったこと。
ご飯が大好きな人だったから、絶食中も空で食べ物を求めていた事。
母の事が大好きで、最後の最後で母の名前を呼んだこと。
「行くな」って声にならない声で、近くにいて欲しいって言ったこと。
祖母が誰も見ていない所で、意識が無くなっていく祖父の肩を抱きながら、
頬を摺り寄せながら泣いていた事。
目を見て、私の事を分かるとうなずいてくれたこと。
でも、あたしは「ありがとう」の一言が出てこなかった。
寡黙で穏やかな人だったから、私は怒られた記憶もない。
でも芯はしっかり通っていて、自慢のじいちゃんだった。
「良い人は最後も良い終わり方をするものだよ。」
ある人は冷たくなったじいちゃんの姿を見て言った。
自分で死期を悟ったかのように、
タイミングを見計らったかのように、
家族全員に見守られて逝ったじいちゃん。
お通夜も、お葬式も、
あたたかくて、
葬式なのに、みんな笑って過ごそうって言えたのは、
「じいちゃん、私たちが笑ってたほうが喜ぶからね。お通夜で笑っても、きっとじいちゃんも笑って見守ってくれるよね。」
って、みんながみんな思ったから。
じいちゃん、私は、じいちゃんみたいな大きくて優しい人を尊敬します。
天国があっても、ずっと見守ってほしいなんて言わない。
たまに気が向いたら、私を見てね。
あとは、もう苦しまなくても良くなった軽い身を、
ゆっくりゆっくり休ませてね。
2012年11月27日火曜日
支援者だけど
人生の先輩から、いろんな言葉を頂くように、
一つの支援で、私が多くの幸せを貰います。
大切な仕事で、大切な私の生活の一部。
問題解決に向けて、一緒に悩ませてもらうから、
やっぱりその中の「死」は大きい。
人の死に関しては抗体は持ちたくないものです。
2012年11月26日月曜日
相思相愛
その命は、誰からも見守られることなく、
この世を去っていってしまいました。
その方には愛する一つの希望がありました。
同じ病気と闘った友人です。
その友人と彼の関係は、相思相愛としか言い表せません。
病める時も
苦しみも
喜びも
共に分かち合い
共に尊び
共に生きると誓った二人でした
病気の間の手が二人を別つまで、
二人は本当に生きる喜びをみんなに教えてくれました。
一人は根っからの明るい性格で、みんなの笑いをとり、少しでも辛そうなひとがいると、声をかけ、
顔を見て、にかっと笑う。そういう優しい人。
一人はそれを側で支えながら、その人が出来ない事をそっと陰でやってあげるような人でした。
社会の偏見と闘った二人でした。
精神病という病気が、まだ根強い偏見のもと、社会復帰をし、
社会生活を共に送ってきた二人。
私はそんな二人を近くで見守らせて頂く立場として、
こんな愛情が永遠に続くようにと、思わずにはいられませんでした。
25日の朝、ベットの横で冷たくなっている彼を見つけたのはスタッフでした。
皮肉にも、その日はもう一方が出かけていた日。
苦しかったのでしょうね。
助けを呼びたかったのでしょうね。
その方は、相方の部屋のベットの真横で、
胸を押さえながら、
そのまま冷たくなっていたのです。
最後の最後まで相方の側に居たかった彼の気持ちを思うと、
やるせない気持ちでいっぱいになります。
支援者として感情移入はしてはいけないのでしょうが、
もう一方の気持ちを思うと、胸が苦しい…
家族の愛情の薄いその方を想い、
思い切り喪にふくそうと思います。
私も、その方を忘れません。
どうか、天国で安らかに。
偏見の無い世界で、羽を伸ばして下さい。
もし来世があるのなら、どうか、もう、病気と闘わなくても良い身体で、
大切な人と共に幸せに暮らせる事を祈ります。
2012年11月4日日曜日
パラレルワールド
選択一つで人生は大きく変わってしまうし、
正解かどうかなんて、
今後の人生を歩んでからしか分からないけど。
『パラレルワールド』に魅かれたのは、村上春樹の小説を読んだからという事だけではない気がする。
『もしこうなってたら』とか『もうこうしていたら』とか、過去を振り返るのは嫌いだし、後悔することはあっても、進んでいく事が後悔しないこれからの未来への一歩だと思っているから、過去に戻りたいとは思わない。
そして、間違った選択でも、もしかしたら必然的に起きるべくして起きたことだと思うことにしてる。
でも、今回は驚くほど迷うし、きっとどっちの選択をしても後悔するんだろうなと思う。
だから意味もなくおびえる。
もう悔しいほど
私の中の塊がぐにゃぐにゃと溶けて
つきものが落ちたように軽くなればいいのに
2012年10月11日木曜日
性善説と性悪説
性悪説…人は生まれながらにして悪である。
あるエッセイ本を読んでいて、日本人は性善説で子供を育て、外国の多くの国では性悪説で子供を育てているようだと書いてあった。
日本人の子育てに登場する昔話は、必ずハッピーエンドで終わる物が多いのに対し、海外の物語はバットエンド物も多く見かける。
人間、基ははみんな良い人。支えあげれば悪いと思う人でもきっといい人に戻る。
そんな解釈をして子供を育てることが多いけど、そのエッセイ本では、世の中は怖いものだらけ。だから自分をしっかり持って生きなさいという教えが多いとの事だった。
我が家はそう考えると性悪説が主流であったと気づく。
物心がついたころから、「社会は怖いところだからな。生き馬の目を平気で抜くような世界が待ってるんだからな。だから礼儀を持って生きるんだぞ。」と、強く、強く言われて育ってきた。
泣いて嫌だといったのに、小学校終了の春休みに、無理矢理海外に連れて行かれ、「日本は狭い。世界を視ろ。」と尻を叩かれた。
もう…怖い世界に行きたくないよと下ばかり向いていた私の顔を、無理矢理上げたのは父親だった。
海外の乗り物に乗ったときは気をつけろよ。すぐにひったくられるからな。
そんな事を言われながら父親と廻ったヨーロッパ旅行。そこで見た世界は、日本とは違う生々しい貧富の差。そして、一人では生きていけないと思われるような別世界。
世界は怖い…
下を向き、下を向き、すれ違う人を見る事を怖がりながら歩いた世界。
しかし、私の性悪説を打ち砕いたのも世界だった。
「ほら、夜景を見てみろ。」
と言った先に広がったのは、夜の街を抜け、ある教会から見た海外の夜景だった。
淡いオレンジ色に染まった家々の明かり。柔らかかったし、「あれ?世界は意外と優しいかも」
そう思える優しい光であった。
そこから顔を揚げて世界を視たら、広くて、明るくて、びっくりするくらい心地よい。
あぁそうか。私が怖がっていたのは自分自身。悪は自分にあったのだと気づく。
もっと世界を視たい。もっと…
私の家はさほど優しくなかったし、怒るときは手も挙げられた。怒鳴られもしたし、父親はひどく厳格で、家族の絶対的存在であった。
厳しかったけれど、色々な世界に連れて行ってくれ、
色々な善悪をいやというほど、私に叩き込んでくれた。
そんな絶対的な父親が、癌になった。
癌の報告を受けたのが先週で、見たくない現実を突きつけられて一週間。
「お前が社会人になって、お金を自分でかせげるようになったらな、仕送りなんていらないから、色々なところに連れて行ってくれな。お父さん、お前とお母さんと旅行に行けることが一番いい。」
そんな事が口癖だった父親。
お父さん、私はあなたの子育てにまんまと乗ったようですよ。
親はまだ元気だとか言える歳でもないことが、身に染みて感じた出来事。
私もお父さんが元気なうちに、お父さんの望む立派な善になって、悪から巣立ちたいと思うんだ。
だから、長生きしてね、お父さん。
2012年7月22日日曜日
クリエイト
create 『~を創作する・~を立案する』
何かを作り上げるなんて私には出来ないと思っていたし、
作家さんのように、自分の手で何か作品を残すなんて、私にはセンスがないと思います。
でも、文章を書く事・感情を写真で表すことは、昔から好きで、表現者として何か出来るかと考えると、素晴らしいものを作り上げる事が出来るとは、はっきり「YES」と言えないし、かといってしたくないわけではない。
そんな中、『Sukimag』というものが形になりました。
『Sukimag』は私にとって宝物で、大切な私の一部です。
こんなに愛してる創作物は、私一人の手では出来上がることすら困難でした。
「何かしたい」から「何かしようよ!」になり、「何か出来上がってきたね」から「これを派生させていこう」まで、仲間と、それが出来る環境にならなければやろうとも思わなかったのです。
そんな大切なWebマガジンを読んで下さる方がいて、
そこで新しいものを作ろうと言って下さる方がいて、
縁とは不思議なものです。
何も無い状態から作り上げて5か月。
私達の歴史は一枚のページで収まってしまうほど短いけれど、これからこれから
今日、またおもしろい出会いがあり、改めて感じたSukimag愛。
これからの派生に期待と創作意欲が湧いてきました。
この作品は、タンブラーで拾ったもの。好きです。勝手に載せてすみません…
2012年7月18日水曜日
芸術に感電
口をぽかーんとあけ、ただただ見入っていた記憶があります。
人間が石を削って、ここまで美しく人間を描けるのかと、なんの知識もない私に『芸術』というものを教えてくれたのでした。
2012年6月19日火曜日
英語を学ぶ
そういえば最近、英語を習い始めました。
フランス旅行前、今年3月から始めた事ですが、その理由は、
「英語もフランス語も話せないような子が、独りで旅出来るの?」
と、そんなことを暗に言われたからでもありました。
英語もフランス語も出来なきゃ旅しちゃいけないの?
そんなことないと思いますが、私はその言葉に言い返せなかった…
確かに、私は旅行が好きだけど、英語は話せないので、現地の事を聞きたくても、ガイドさんや日本語の話せる現地の方に聞くしかありませんでした。
それじゃもったいない!!
やっぱり生の声で生の情報を仕入れたい!
だって、海外はおもしろ体験の宝庫、カルチャーショックなことばかりなんだもの!
という事で、にわかに英語を学んでいるのですが、
私は『勉強』という事があまり好きではなくて、(誰しもそうかもしれませんが…)
Sukimag仲間に相談したところ、English Cafeを紹介してもらいました。
(そんな彼女Midoは現在オーストラリア滞在中です。)
そこで学ぶことは、生の発音と生の会話。
現在、身振り手振りを交えながら、何とか会話術取得中です…
先は永そう。
だって日本語と英語の文法は全く違うし、表現の仕方も違う!
文の作りが違う事が一番の難関。
頭で考えていても文章が出てこない…
やっぱり言えることは、『努力しなければ英語は話せるようにならない』
ってことです。
私の知り合いの頑張り屋さんは、寝る間を惜しんでフランス語を学び、今では日常会話が出来るほどになりました。
今現在、英語を話せる日本人を尊敬します。
わぁ~
私も頑張ろう!
挫折しそうなときは、努力している仲間とそのモヤモヤを話すのが一番。
いっぱい悩んで、話して、伝えて、
英語話せるようになろうっ!!!
2011年11月12日土曜日
それがひどく美しく見えました。
仕事帰り、美しい光景を見ました。
車椅子のカップル。
街を颯爽と二人で走り抜ける姿は美しかった。
追い越されて、走る姿がきれいだなあと見とれていたら、
先の道で私が追い越してしまいました。
そこは何の変哲もない道。
追い越して気づきました。
二人とも精一杯こぐけれど、進まない。
そこはちょっとした登り道。
歩いていては分からなかった登り道。
男性が先に登りきり、声をかけながら女性を待ちます。
夕方の暗がりと、街の明かり。
ちょうど小雨が降っていて、
カラフルな車椅子が水溜りに移り、
はっとするくらい美しい光景でした。
人にとって世界はこんなにも違うものかと考えさせられたし、
二人の世界観がうらやましかったです。
2011年11月4日金曜日
SSWr への第一歩
願ってた夢を追いかけて、
この道を信じてコツコツやってきました。
地味?社会福祉って偽善?
もっと他の道はいくらでもあるよ。
給料は少ないしね。
もっと知られてる仕事ならいいのに。
いろんな事を感じてこの福祉という世界に入ったし、優しさだけで食べていけるほど甘い世界じゃなかったし、感謝されるだけの世界でもありませんでした。
でもなぜか福祉の仕事に捕らわれて、
もしかしたらこの先ぬけだせないかもしれません。
何か出来ないか。何かもっと面白いことを・・・
そこで降ってきたチャンス。
「本格的にスクールソーシャルワーカーやってみない?」
大学時代にお世話になっていた恩師から突然連絡が来ました。
学生時代から、事あるごとに、「私は子ども相手の仕事につきたいんです!!」と声を大にして言ってきた私は、最初驚きを隠せず、震えてしまいました。
夢みたい・・・
かれこれ小学生の時からの夢でした。
いじめや激しい子ども社会の中、誰か救ってくれる人はいないか。誰かここに光を指してくれる人はいないかと、必死で探していた感情が蘇ります。
その誰かになりたくて、あんな思いをしている子を救いたくて、この福祉の道を目指しました。
≪シーラという子≫作:トリー・ヘイデン
その本を読んでこんな人がいてくれたら良いのにと、何度思ったことか。
これを読んで福祉の道を選んだなんて表の理由にしかなりません。
厳しい子ども社会の中、必死に救ってと願った人の姿がそこにあったから、
私は福祉の道に行こうと決めました。
スクールソーシャルワーカーは2008年に初めて日本で導入されました。
スクールソーシャルワーカーとして活動している人は県で16名と多くはありません。
声がかかったからにはやらない理由はありません。
まだ日本では認知が薄い仕事ですが、ちょっとチャレンジしてみようと思います。
福祉は繋がりが大切な仕事です。
その繋がりを大切にして、少し先駆け的なソーシャルワークをしていきたいと思います。
まだ本当にやっていくかは分かりませんが、まずは週一でアシスタントとしてやっていきます!!
やれるかやれないかはやってみて決めます。
まあ、ニーズは日々変化するので、この夢は夢でおわるかもしれないけど、夢を実現できるなら少しやってみます。
2011年9月22日木曜日
写真コンクール入賞しました!
久しぶりの更新です。
大雨でやんだぐなりますね~~。
一つ嬉しい報告があります。
震災時に撮った写真がコンクールで入賞しました
マンフロット株式会社が主催のフォトコンテストです。
本当は7月に結果は知っていたのですが、そんな報告することじゃないだろうと思っていました。
なので知り合いとかに口頭で言って喜んでいたのですが・・・
でもでも、震災の情報が薄くなっている今だから報告したいと思いまして、ブログアップします。
「希望」がテーマです。入賞50点の中から、好きな写真を投票すると、1票100円の義援金となって被災地に送られるシステムのようです。
東日本大震災 被災地支援フォトコンテスト「Click for Hope」
http://clickforhope.manfrotto.jp/
是非見てみてください素敵な作品がたくさんあって、元気になれます(^-^)
2011年9月5日月曜日
2011年8月14日日曜日
2011年8月2日火曜日
2011年6月15日水曜日
2011年6月6日月曜日
2011年5月29日日曜日
みんな転機
2011年3月11日金曜日
社会福祉士とるぞ!
産まれました!
5月16日に3328gの男の子出産しました! 予定日プラス4日で産まれてきてくれた我が子。 私の出産劇はけっこうドタバタだったのですが、 助産師さんからは 「超安産でしたね☆」 のお墨付きを頂きましたので、きっと安産だったのだと思います。 陣痛中は、苦...




