亡くなる知らせが多すぎる。
私の祖父が亡くなった。
世界は変わらず動いていて、人ひとりの命は尊いなんて
言葉上のデフォルメに過ぎない事を知る。
祖父が亡くなる前々日、私は母に呼ばれて実家に帰った。
祖父の意識は少しあって、私の顔を眼で追った。
わかる?って聞いたら、うなずいた。
そのあと何か言おうとするんだけど、声を出すんだけれど、声は空気を振動させる事を忘れたように、
カス… カス…
と音が出るだけで…
じいちゃん、
あたし何も聞き取ることが出来なかった。
私にもっと勇気があったら、入院中がんばってるじいちゃんに、何度でも逢いに行くことが出来たのに。
そうしなかった自分をこんなに後悔した瞬間は無かった。
母親が席を離れようとするとき、
「行くな」って、声にならない声で呼び止めたよね。
それからどんどん意識が無くなっていったけど、じいちゃん家族みんなの顔を見るために呼吸をしようとしていた。
喉に痰が絡んで苦しかっただろうに。
痰をとってもらっている時、じいちゃん、生きることがこんなに辛いと感じることはなかっただろうね。
祖父の意識は、一日でみるみるうちに薄れていって、
祖父の大好きな人々に看取られながら、その長い人生の幕を閉じた。
声にならない声で、「うちに帰りたい」と言ったこと。
ご飯が大好きな人だったから、絶食中も空で食べ物を求めていた事。
母の事が大好きで、最後の最後で母の名前を呼んだこと。
「行くな」って声にならない声で、近くにいて欲しいって言ったこと。
祖母が誰も見ていない所で、意識が無くなっていく祖父の肩を抱きながら、
頬を摺り寄せながら泣いていた事。
目を見て、私の事を分かるとうなずいてくれたこと。
でも、あたしは「ありがとう」の一言が出てこなかった。
寡黙で穏やかな人だったから、私は怒られた記憶もない。
でも芯はしっかり通っていて、自慢のじいちゃんだった。
「良い人は最後も良い終わり方をするものだよ。」
ある人は冷たくなったじいちゃんの姿を見て言った。
自分で死期を悟ったかのように、
タイミングを見計らったかのように、
家族全員に見守られて逝ったじいちゃん。
お通夜も、お葬式も、
あたたかくて、
葬式なのに、みんな笑って過ごそうって言えたのは、
「じいちゃん、私たちが笑ってたほうが喜ぶからね。お通夜で笑っても、きっとじいちゃんも笑って見守ってくれるよね。」
って、みんながみんな思ったから。
じいちゃん、私は、じいちゃんみたいな大きくて優しい人を尊敬します。
天国があっても、ずっと見守ってほしいなんて言わない。
たまに気が向いたら、私を見てね。
あとは、もう苦しまなくても良くなった軽い身を、
ゆっくりゆっくり休ませてね。
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