2013年3月29日金曜日

いよいよ明日

いよいよ明日で最後の出勤になりました。

4月から異動が決まり、4年間いた土地を離れる事になりました。

同じ法人内だし、そんなに離れた場所でもないし、異動の実感なんて無かったのですが…


お逢い出来るのが最後の患者さんが、

花束をくれたり、
泣きながら抱きついてくれたり、
お手紙をくれたり…


そんな事をされてしまったら、

涙腺が崩壊します。


本当に別れが苦しくなりました。


4年間って短いようで、やっぱり長かったのだと実感しました。

ずっと、

私の支援って、みんなの役にたってるのかな?
私の言葉で嫌な思いをしなかっただろうか?

とか、自問自答した日々が思い出されます。

逃げ出したくなる時もあったし、
患者さんに怒鳴られたり、
時に意見がぶつかったりしたこともありました。

でも、行かないで~

って泣いてくれた姿と、

「身体に気を付けてがんばってね。きっと大丈夫だよ。」

って言ってくれた笑顔が私のバネになりました。


「俺がいないとだめだからな、ついていってやるか?」

って言ってくれるおじいちゃん。


いろんな思い出があった4年間。
私、幸せでした。

こんなにも大切にされていたって実感出来たから、
明日は最後の恩返しをしたいと思います。


明日はサプライズの送別会があるようです。
サプライズなのに私は知っています。

隠しきれず口が滑った方から聞きました。

今でも耐えきれないのに、明日のお別れが辛すぎます。


2013年3月24日日曜日

zine作り

zineという存在を知ったのは今年の春。

友人が自分で作って出版できる雑誌があることを教えてくれたのが始まりでした。

その友人は、『自分の世界をZineで表現すると同時に、以前から行っていたバンド活動でLIVEする傍ら、そのライブ会場でZineの販売をする。』という目標を達成しました!

Zineの存在自体、初めて知ったのに、そんなことをやってのけてしまう友人すごい!



Zineとは…
こんなサイトを紹介します。

日本語サイト →   mountzine
海外のZine好きのサイト  →  fanzines


私自信、写真が趣味だし、自己表現できる面白い手段だなと思い、
こんな本を購入。自由に遊ぶDIYの本づくり


ちょー楽しい!!もうわくわくが止まらず、作ってみることにしました。

写真選びやレイアウト、ひとりで考えながら作るのですが、楽しすぎて、
平日の時間があるときはZineの事を考えていました。

数日かけて作りあげた私の第一版はこちら↓




メルボルンで出会った写真をモチーフに作ってみました!

すごく楽しかった!!

しかし、かなり大変でした…


写真と文章は作っていて楽しかったのですが、印刷と製本が難しい!!

紙にもこだわってみたのですが、印刷が大変…

一冊作って満足していましたが、また作ろうと思います!!

次は本気で!




2013年2月11日月曜日

2012の終わりと2013の始まり


2012年、いろいろな事がありました。

一年前の自分の日記を見返してみると、どこかに飛び出したい欲望が強くて、
どうにかして新しい事に挑戦しようと必死だった事が伺えます。

↓↓こんな感じ
http://hicchiii.blogspot.jp/2012/02/1_29.html




2012年の終わりに悲しい事がたくさんあり、気持ちも落ち込みぎみの時間が続いたのですが、
今はやっと元気になりました。

そして、やっと創作意欲も湧いてきました。


振り返り日記になってしまいますが、残しておこうと思います。


2012年、達成できた事がいくつかあります。


* 初、一人個人旅行
* 一年でたくさんの旅をする(フランス&オーストラリア)
* 英語を勉強する


個人で航空券を手配して、土地勘のないところ、言葉の分からないところへ行く。
この経験は、私の人生の中でも価値観や世界観が変わる大きな一歩でした。

ほんとは度胸が無くて、とんでもなく抜けているところがある私がここまで出来たのは奇跡!

でもそれは私だけの力ではなく、周りの魅力あふれる人々とお話したり、応援してもらったり、
仲間がいたからだと再認識。


支えてくれた方、ありがとうございました!

















そして、友人とユニットを組んで作成しているWebサイトSukimag 
                                                            http://sukimag.com/

このサイトで、今まで考えていた私の「何かしたい!」という欲が満たされました。
そしてなにより、考えていた事を発言する機会があるありがたさに感謝します。


Webを常に整備してUPしてくれるユコさん
新しい発見と希望をくれるミドさん

ありがとう!









2012年の終わりには、人の最期を目の当たりにし、改めて自分の成り立ちを感じました。
そして、これからの人生で大切となるであろう事を見つける旅に、今年も出なければならないと再認識したのです。



そうそう、そして疎遠になっていたと思っていた友人や親族と会い、語った一年でもありました。


2012年、私とお話ししてくれた方に、たくさんの感謝と敬意を込めまして、


2012年ありがとうございました!
2013年、改めましてよろしくお願いします!





2012年12月9日日曜日

おじいちゃん

亡くなる知らせが多すぎる。


私の祖父が亡くなった。

世界は変わらず動いていて、人ひとりの命は尊いなんて

言葉上のデフォルメに過ぎない事を知る。




祖父が亡くなる前々日、私は母に呼ばれて実家に帰った。

祖父の意識は少しあって、私の顔を眼で追った。
わかる?って聞いたら、うなずいた。

そのあと何か言おうとするんだけど、声を出すんだけれど、声は空気を振動させる事を忘れたように、

カス…   カス…

と音が出るだけで…

じいちゃん、

あたし何も聞き取ることが出来なかった。

私にもっと勇気があったら、入院中がんばってるじいちゃんに、何度でも逢いに行くことが出来たのに。

そうしなかった自分をこんなに後悔した瞬間は無かった。

母親が席を離れようとするとき、
「行くな」って、声にならない声で呼び止めたよね。

それからどんどん意識が無くなっていったけど、じいちゃん家族みんなの顔を見るために呼吸をしようとしていた。


喉に痰が絡んで苦しかっただろうに。

痰をとってもらっている時、じいちゃん、生きることがこんなに辛いと感じることはなかっただろうね。






祖父の意識は、一日でみるみるうちに薄れていって、
祖父の大好きな人々に看取られながら、その長い人生の幕を閉じた。

声にならない声で、「うちに帰りたい」と言ったこと。

ご飯が大好きな人だったから、絶食中も空で食べ物を求めていた事。

母の事が大好きで、最後の最後で母の名前を呼んだこと。

「行くな」って声にならない声で、近くにいて欲しいって言ったこと。

祖母が誰も見ていない所で、意識が無くなっていく祖父の肩を抱きながら、
頬を摺り寄せながら泣いていた事。

目を見て、私の事を分かるとうなずいてくれたこと。

でも、あたしは「ありがとう」の一言が出てこなかった。

寡黙で穏やかな人だったから、私は怒られた記憶もない。

でも芯はしっかり通っていて、自慢のじいちゃんだった。




「良い人は最後も良い終わり方をするものだよ。」

ある人は冷たくなったじいちゃんの姿を見て言った。


自分で死期を悟ったかのように、
タイミングを見計らったかのように、
家族全員に見守られて逝ったじいちゃん。


お通夜も、お葬式も、
あたたかくて、

葬式なのに、みんな笑って過ごそうって言えたのは、

「じいちゃん、私たちが笑ってたほうが喜ぶからね。お通夜で笑っても、きっとじいちゃんも笑って見守ってくれるよね。」

って、みんながみんな思ったから。


じいちゃん、私は、じいちゃんみたいな大きくて優しい人を尊敬します。

天国があっても、ずっと見守ってほしいなんて言わない。



たまに気が向いたら、私を見てね。

あとは、もう苦しまなくても良くなった軽い身を、
ゆっくりゆっくり休ませてね。


2012年11月27日火曜日

支援者だけど

ソーシャルワークをしていると、いろいろな事をコワーカーさんから教わります。

人生の先輩から、いろんな言葉を頂くように、

一つの支援で、私が多くの幸せを貰います。

大切な仕事で、大切な私の生活の一部。


問題解決に向けて、一緒に悩ませてもらうから、
やっぱりその中の「死」は大きい。


人の死に関しては抗体は持ちたくないものです。

だから思い切り悲しみます。


2012年11月26日月曜日

相思相愛

H24.11.25 一つの尊い命がこの世界から消えました。


その命は、誰からも見守られることなく、
この世を去っていってしまいました。

その方には愛する一つの希望がありました。
同じ病気と闘った友人です。

その友人と彼の関係は、相思相愛としか言い表せません。

病める時も
苦しみも
喜びも

共に分かち合い
共に尊び
共に生きると誓った二人でした

病気の間の手が二人を別つまで、
二人は本当に生きる喜びをみんなに教えてくれました。

一人は根っからの明るい性格で、みんなの笑いをとり、少しでも辛そうなひとがいると、声をかけ、
顔を見て、にかっと笑う。そういう優しい人。

一人はそれを側で支えながら、その人が出来ない事をそっと陰でやってあげるような人でした。



社会の偏見と闘った二人でした。
精神病という病気が、まだ根強い偏見のもと、社会復帰をし、
社会生活を共に送ってきた二人。


私はそんな二人を近くで見守らせて頂く立場として、
こんな愛情が永遠に続くようにと、思わずにはいられませんでした。



25日の朝、ベットの横で冷たくなっている彼を見つけたのはスタッフでした。
皮肉にも、その日はもう一方が出かけていた日。

苦しかったのでしょうね。
助けを呼びたかったのでしょうね。

その方は、相方の部屋のベットの真横で、
胸を押さえながら、
そのまま冷たくなっていたのです。

最後の最後まで相方の側に居たかった彼の気持ちを思うと、

やるせない気持ちでいっぱいになります。


支援者として感情移入はしてはいけないのでしょうが、
もう一方の気持ちを思うと、胸が苦しい…


家族の愛情の薄いその方を想い、
思い切り喪にふくそうと思います。

私も、その方を忘れません。

どうか、天国で安らかに。
偏見の無い世界で、羽を伸ばして下さい。
もし来世があるのなら、どうか、もう、病気と闘わなくても良い身体で、
大切な人と共に幸せに暮らせる事を祈ります。


2012年11月4日日曜日

パラレルワールド

人は色々な選択をしながら今を生きていると思うけど、この選択をしなかったらどうなっていたかという仮説の道も同時に存在するのであれば、私は両方の道を生きることは出来ないのかと不意に願いたくなった。

選択一つで人生は大きく変わってしまうし、

正解かどうかなんて、

今後の人生を歩んでからしか分からないけど。



『パラレルワールド』に魅かれたのは、村上春樹の小説を読んだからという事だけではない気がする。

『もしこうなってたら』とか『もうこうしていたら』とか、過去を振り返るのは嫌いだし、後悔することはあっても、進んでいく事が後悔しないこれからの未来への一歩だと思っているから、過去に戻りたいとは思わない。

そして、間違った選択でも、もしかしたら必然的に起きるべくして起きたことだと思うことにしてる。


でも、今回は驚くほど迷うし、きっとどっちの選択をしても後悔するんだろうなと思う。

だから意味もなくおびえる。


もう悔しいほど

私の中の塊がぐにゃぐにゃと溶けて

つきものが落ちたように軽くなればいいのに





2012年10月11日木曜日

性善説と性悪説

性善説…人は生まれながらにして善い者である。

性悪説…人は生まれながらにして悪である。


あるエッセイ本を読んでいて、日本人は性善説で子供を育て、外国の多くの国では性悪説で子供を育てているようだと書いてあった。

日本人の子育てに登場する昔話は、必ずハッピーエンドで終わる物が多いのに対し、海外の物語はバットエンド物も多く見かける。


人間、基ははみんな良い人。支えあげれば悪いと思う人でもきっといい人に戻る。

そんな解釈をして子供を育てることが多いけど、そのエッセイ本では、世の中は怖いものだらけ。だから自分をしっかり持って生きなさいという教えが多いとの事だった。


我が家はそう考えると性悪説が主流であったと気づく。

物心がついたころから、「社会は怖いところだからな。生き馬の目を平気で抜くような世界が待ってるんだからな。だから礼儀を持って生きるんだぞ。」と、強く、強く言われて育ってきた。

泣いて嫌だといったのに、小学校終了の春休みに、無理矢理海外に連れて行かれ、「日本は狭い。世界を視ろ。」と尻を叩かれた。


もう…怖い世界に行きたくないよと下ばかり向いていた私の顔を、無理矢理上げたのは父親だった。

海外の乗り物に乗ったときは気をつけろよ。すぐにひったくられるからな。

そんな事を言われながら父親と廻ったヨーロッパ旅行。そこで見た世界は、日本とは違う生々しい貧富の差。そして、一人では生きていけないと思われるような別世界。

世界は怖い…

下を向き、下を向き、すれ違う人を見る事を怖がりながら歩いた世界。



しかし、私の性悪説を打ち砕いたのも世界だった。
「ほら、夜景を見てみろ。」

と言った先に広がったのは、夜の街を抜け、ある教会から見た海外の夜景だった。

淡いオレンジ色に染まった家々の明かり。柔らかかったし、「あれ?世界は意外と優しいかも」

そう思える優しい光であった。

そこから顔を揚げて世界を視たら、広くて、明るくて、びっくりするくらい心地よい。

あぁそうか。私が怖がっていたのは自分自身。悪は自分にあったのだと気づく。
もっと世界を視たい。もっと…


私の家はさほど優しくなかったし、怒るときは手も挙げられた。怒鳴られもしたし、父親はひどく厳格で、家族の絶対的存在であった。
厳しかったけれど、色々な世界に連れて行ってくれ、
色々な善悪をいやというほど、私に叩き込んでくれた。









そんな絶対的な父親が、癌になった。


癌の報告を受けたのが先週で、見たくない現実を突きつけられて一週間。

「お前が社会人になって、お金を自分でかせげるようになったらな、仕送りなんていらないから、色々なところに連れて行ってくれな。お父さん、お前とお母さんと旅行に行けることが一番いい。」

そんな事が口癖だった父親。

お父さん、私はあなたの子育てにまんまと乗ったようですよ。

親はまだ元気だとか言える歳でもないことが、身に染みて感じた出来事。

私もお父さんが元気なうちに、お父さんの望む立派な善になって、悪から巣立ちたいと思うんだ。

だから、長生きしてね、お父さん。







2012年10月8日月曜日

精神世界と私

Sukimagで新しいコーナーをという話があり、考えました。
私と精神世界は離して語ることは出来ないから、そんなコーナーにしようかと思ったら最後。

精神世界に入り込んでしまいました。 

私は昔から、没頭しすぎて時間を忘れる癖があるけど、精神世界に没頭するあまり、現実世界に戻って来れなくなってしまう時が多々ありまして…

深く考えるのもほどほどにしなければといつも思うのです。

精神科のソーシャルワーカーを目指して大学に入り、勉強することでその精神力を別方向に向けることが出来ていました。

深く考えるときは事前に心の用意をしなければいけません。
そして、考えすぎた後の事を考慮して、なんとか気持ちを持ち上げるすべを用意していなければいけません。


そんなこんなで一見辛そうなこの作業ですが、一旦深く落ち込むとなんとも心地のいい時間が訪れます。

私、落ちこんだときほど文章力が向上するという、変な奴な性質を持っています。

いや、文章を書く人は誰しもそうなのかもしれないけど…
(私は物書きといえるほど文章は書けませんが)

かの有名な太宰治氏は、精神病を抱えて、文章・そしてある一定の世界から抜け出せなくなっていた人物の一人でもあるし、生きる辛さのあまり「死」を選択した。

美しい人生であったとも思うし、「死」が残すものは強い悲しみでもあります。



まあ、私はそこまで強い物書きにはなれませんが、文章を書くことはとても好きです。





さてさて、どんなコーナーにしようかな~~


2012年7月22日日曜日

クリエイト

クリエイト…クリエイト…

create  『~を創作する・~を立案する』


何かを作り上げるなんて私には出来ないと思っていたし、

作家さんのように、自分の手で何か作品を残すなんて、私にはセンスがないと思います。


でも、文章を書く事・感情を写真で表すことは、昔から好きで、表現者として何か出来るかと考えると、素晴らしいものを作り上げる事が出来るとは、はっきり「YES」と言えないし、かといってしたくないわけではない。


そんな中、『Sukimag』というものが形になりました。

『Sukimag』は私にとって宝物で、大切な私の一部です。




http://null-me.com/sukimag/


こんなに愛してる創作物は、私一人の手では出来上がることすら困難でした。



「何かしたい」から「何かしようよ!」になり、「何か出来上がってきたね」から「これを派生させていこう」まで、仲間と、それが出来る環境にならなければやろうとも思わなかったのです。


そんな大切なWebマガジンを読んで下さる方がいて、

そこで新しいものを作ろうと言って下さる方がいて、

縁とは不思議なものです。



何も無い状態から作り上げて5か月。

私達の歴史は一枚のページで収まってしまうほど短いけれど、これからこれから




今日、またおもしろい出会いがあり、改めて感じたSukimag愛。

これからの派生に期待と創作意欲が湧いてきました。




                                         ↑↑

      この作品は、タンブラーで拾ったもの。好きです。勝手に載せてすみません…










2012年7月18日水曜日

芸術に感電


私は、本物の芸術に触れ、雷に打たれたかのように衝撃を受け、その場から動けなくなった経験があります。







それは中学に入るちょっと前、心を打たれた芸術作品は、ミケランジェロ作『ダビデ像』でした。



口をぽかーんとあけ、ただただ見入っていた記憶があります。
















人間が石を削って、ここまで美しく人間を描けるのかと、なんの知識もない私に『芸術』というものを教えてくれたのでした。










なにが言いたいかというと、
本物の芸術は、人の心を動かすということです。




疲れたとき、何も考えたくないとき、ただ本物の芸術に触れるだけで癒され、心が洗われることがあります。

こんな言葉で並べただけでは、伝えられない想いがたくさんあるのですが、


今は生きていない人間の、その当時の感情、想い、希望、悲しみのはけ口、うれしさの爆発、
描いた時代の描いた人間の素直な部分が滲み感じられるのです。



















その感情たちが、今生きている人間に、いろいろな事を教えてくれる。


それで、自分の生き方や悩みや存在なんてちっぽけなものだと感じられる。
芸術に教わり、芸術に癒され、芸術に叱られ…



もの言わぬ、人が作った産物は、リアルな人間以上に先生です。

これだから、芸術は美しいと思うのです。







熱く語ってしまいました。

2012年6月19日火曜日

英語を学ぶ



そういえば最近、英語を習い始めました。

フランス旅行前、今年3月から始めた事ですが、その理由は、

「英語もフランス語も話せないような子が、独りで旅出来るの?」

と、そんなことを暗に言われたからでもありました。


英語もフランス語も出来なきゃ旅しちゃいけないの?
そんなことないと思いますが、私はその言葉に言い返せなかった…

確かに、私は旅行が好きだけど、英語は話せないので、現地の事を聞きたくても、ガイドさんや日本語の話せる現地の方に聞くしかありませんでした。




それじゃもったいない!!

やっぱり生の声で生の情報を仕入れたい!

だって、海外はおもしろ体験の宝庫、カルチャーショックなことばかりなんだもの!













という事で、にわかに英語を学んでいるのですが、
私は『勉強』という事があまり好きではなくて、(誰しもそうかもしれませんが…)

Sukimag仲間に相談したところ、English Cafeを紹介してもらいました。
(そんな彼女Midoは現在オーストラリア滞在中です。)

そこで学ぶことは、生の発音と生の会話。

現在、身振り手振りを交えながら、何とか会話術取得中です…



先は永そう。


だって日本語と英語の文法は全く違うし、表現の仕方も違う!
文の作りが違う事が一番の難関。

頭で考えていても文章が出てこない…











モヤモヤする~~~~!!!





やっぱり言えることは、『努力しなければ英語は話せるようにならない』
ってことです。

私の知り合いの頑張り屋さんは、寝る間を惜しんでフランス語を学び、今では日常会話が出来るほどになりました。

今現在、英語を話せる日本人を尊敬します。


わぁ~

私も頑張ろう!

挫折しそうなときは、努力している仲間とそのモヤモヤを話すのが一番。
いっぱい悩んで、話して、伝えて、


英語話せるようになろうっ!!!



2012年5月20日日曜日

フランスの食の事

フランスでよく見かけた「BIO」という言葉。

日本でいうところの「マクロビオテック」

日本以上に盛んで、流行発信の地だけあり、とても関心が深いようでした。


私は自然なものは好きですが、やりすぎはよくないと思うし、サプリメントやBIOのみの物を食べる気にはなれません。(だって世の中には、おいしいものがたくさんあるから!)

それでも、「BIO」の考えは好きです!







考えれば日本は戦前まで、BIOの国でした。

地産地消が当たり前、粟も麦も米も当たり前のように食べていましたし、食べ物が自分の活力源になることを知っていたように感じます。


さて、何を表現したいかというと、

今の日本は物が溢れすぎていて、本当に自分が必要だと思う食べ物が分からないということです!

食べ物一つにしても、選択することがとても難しい!

私だけかもしれませんが、スーパーを歩いていて、「あっ!これおいしそう!」とか、「これも食べたい!」とかしているうちに、結局何を食べたいのか分からなくなり、買わなくていいものまで買ってしまって、しまいには冷蔵庫の中で永久保存…


あーだめだ!そして、おいしいから食べ過ぎてしますのです…

きっと私だけでしょうね…









でも、私自身この度で「食」に関してすごく学ぶことが多かった!
だって、食べなければ生きていけないでしょ?

フランスは食べ物をとても大切にする国だから、
土曜日・日曜日なんかは平日に買いだめた食材を使って、時間をかけて料理をして、ゆっくり食べて、飲んで、平日の事を家族と話すのです。

「すっごく、おいしい!」

って言葉を交わしながら、食べるために休日を過ごす人も少なくないそうです。


うん。

「食」ってないがしろにされがちだけど、本当はとっても大切な時間。

そんなフランス時間を真似して、今日は家で友達とパーティーだっ!!!


食べ物って食べ続けるのが大変に思いますが、

ドカッと炭水化物をあまりとらず、おしゃべりしながら、ちんたら食べれば、何時間でも実は食べれるのかもしれません。この場合一日の食事は一食でまかなえますが…



ちんたら、ずるずる、ぺちゃくちゃと、


ゆっくり休日を過ごしたいと思います。







2012年5月12日土曜日

戻ってきました!

パリから戻ってきました。

初めての経験ばかりで、興奮さめ止まぬまま書いています。

実際戻ってきたのは2日前になるのですが、えらいことにすぐに仕事に行きました。
それゆえ、日本文化に戻るまで、戸惑いと驚きの連続でした。

フランスに染まったわけでもなく、
日本が嫌いなわけでもありません。

ただ、あまりにも学ぶことが多かった旅だけあって、
まだまだ旅気分で居たかったのです。


一人旅らしい一人旅って初めてしましたが、こんなに面白いものだと思ってませんでした。

こんなにも価値観が変わるとは思っていませんでした。



フランスに行くにあたって絶対抑えたかった目標はこんな感じ。


・多くのアートに触れること
・フランスの料理を食べること
・フランスの文化に触れ、住むように生活すること
・たくさんの人に出会うこと


実は、全ての目標が達成しました。

が、すべての目標に、まだまだ深く入りきれていない気がします。

とにかく内容が濃くて、とにかく多くの出会いがあった旅でした。

道中、出会ったたくさんの人に、感謝と尊敬を表します。
そして、実現するまで支えてくれた仲間に感謝します。





これから仲間とやっているWebサイトと連動して更新して行く予定です。

Webサイト→ http://sukimag.com/

そして、わたしの体験記をゲストハウス『メゾン・オランジュ』さんのブログに載せていたただきました。是非見て下さい!

メゾン・オランジュ「夢をかなえるプロジェクト」→http://parisyumekana.jugem.jp/

2012年5月9日水曜日

そばかす

だいっきらいだったそばかすをちょっと


ひとなでしてため息を一つ


ヘビー級な恋は見事に


角砂糖と一緒に溶けた・・・


JUDY AND MARYの歌の歌詞にもなったそばかす


私は歌詞同様、自分のそばかすが大嫌いで、どうにかなんないものかといつも思っていました。。




でもそれが不意に好きになる出来事が!
フランスでホームステイさせて頂いたところのお嬢さんの話。


日本の女の子とフランスの女の子のファッションについて話していたとき、ふいに


「そのそばかすかわいいね!」


と言われました。


わたしにとってそばかすはコンプレックスの塊みたいなもので、
メイクで隠そうにも隠れず、半ば諦めていた存在。


「そばかすって変じゃない?」


聞いたら、


「見たときから、妹が『いいな』って言ってたよ!」


ですって!


日本では隠そうとする習慣があるけど、それも個性になるんだなって実感しました。






だいっきらいだったそばかすがちょっと好きになりました。




そばかすといえば赤毛のアン!











2012年5月6日日曜日

In PARIS






PARISのアパルトマンにて書いています。パリ3日目。時差ぼけはひどくないのですが、目が痛くて真っ赤になっています。そして鼻水じゅるじゅる・・・

・・・花粉症!?

日本にはない植物に反応しているようです。せっかくの旅行なのにガーン(> <)


さてさて、ブログを放置しておりましてすみませんでした。
なにせ、一人旅なもので安全に旅するための下準備が多くて、いままで空いた時間はすべて旅行の準備へと注いでいました。そしてやっとパリ日目にして、こうしてブログをかける時間がとれました。といっても、現地時間夜中の1時ですけどね。

飛行機内、空港内、市内・・・いろいろありました!!いやー大変でした。

小出しにさせていただくとして、
今日は素敵なパリの画廊の話。

わたしは今、サンジェルマン・デ・プレという、町に滞在しているのですが、ここは観光地ではなく、ほんとのパリならではの風景が広がっています。

5月から町のいたるところの画廊が開放されており、アーティストの作品が無料で観覧できるのです。





それはそれは感性を揺さぶられるものばかり。

ここから未来に名前を残すアーティストが出るのかもしれません。


パリジャンから「わたしの作品見にきてね!」とパンフレットを渡され、「ウイ」と答えたものの、どこにあるのか分からず、迷子・・・何てこともありましたが、

迷いながらふらふら入っていった小道で、思いがけないアートに出会ったり、

パリジャンの生活が垣間見れたり、

無計画な散歩もいいものですね。


おかげで寄り道ばかりで、当初したいと思っていたことがほとんど出来ず、気づいたら3日目。

時間が足りないです。



今後のブログで紹介させて頂きます、知り合った日本人紳士はこう教えてくださいました。

「パリは変わらない。何度でも来たくなるような町だよ。ほんとに・・・味を占めた人は、必ず戻ってくるんだよ、この町に。」


味を占めつつあるわたしは、今離れがたい衝動にもやもやしています。

あと3日でどのくらいのアートを楽しめるだろうか?
どのくらいの人々と触れ合えるだろうか?
どのくらいの時間、町に溶け込めるだろうか・・・

こんな離れがたい衝動はあまりないかもしれません。

パリは変わらずそこにいてくれるなら、私はどんどん変化して、不動の感性を身に着けたいものだなと思うばかりです。


さて、もう1時だ!悔しいけれど次の日を迎えなければいけません!

明日もたくさんのトラブルが待っているかもしれないけれど、楽しみに夢見たいと思います!

では

2012年3月11日日曜日

天国にいちばん近い山頂で

3月10日(土)、宮城県で天国にいちばん近い山頂から花火があがりました。
このブログでも以前紹介した「天国へぶっ放せ」という企画。

行ってみようと思い立ち、見えるだろう位置を探しに行きました。

関山から仙台港まで、比較的どこからでも見えるということでしたが、場所が分からず、うろうろ・・・

そんなこんなしているうちに始まってしまいました。
USTREAMで中継音を聞きながら場所を探します。

泉に近い丘の上へ行ったとき、それは見えました!
見えた!見えた!
と興奮し、よりしっかり見える場所へ移動。

車を降りて開けた場所へ行くと、小さいながらも、しっかりと花火が見えます。
周りには何人かの人がいて、それに見入っていました。

静かでした。


恋人たちは肩を寄せ合いそれを見ていて、
若者の団体は少し遠くではしゃぎながら見入っていました。

終わるまで誰もその場を立ち去ろうとしません。



18:15~19:30までの花火でした。
長い時間です。

2万発の重みが分かります。
2万人の命の尊さも分かります。




写真では分かりづらいけど、
一つ一つの花火が、昇っては空へと消えていきました。

人魂が天に昇って行くように見えました。小さく見えるからなおさら、尊い命に見えました。

被災した日から今までの事が蘇ってきて、気づいたら涙が止まりませんでした。


ほんとにいろいろあった一年でした。
宮城と福島を行き来した私たちは、風評と復興で離れました。


その人が、ぽつりと
「浄化されるね。進めそうだ。」と言いました。

普段は涙なんて見せない強い人です。

人の弱さや、怖さ、辛さ、無常さを常に身近に感じてきた一年。
それでも人は暖かさを求め、進んでいこうとします。


仕事柄、人災が起きやすく、たまに辛いけど、
弱いなりに震災と向き合っていきます。
これからもここからがんばります。
http://www.1101.com/schopdan/hanabi/index.html

2012 3 11

この日をどう迎えようかと考えていました。

去年の今は、来年という年の事なんて考えられず、まるでこの世界がおわってしまうかのように感じていました。

でも今日はありました。

そして、今日は家に居れて、今日はご飯も食べれて、今日は水も飲めて、今日はお風呂にも入れて、今日は大切な人と連絡をとれる日でした。

この文章を書いている間に2:46は過ぎ、一年が経ちました。


なんでもないこの時を過ごせて幸せに思うと共に、

この一年を乗り越えてきた、たくさんの仲間たちに感謝したいと思います。








写真は私が震災時に書いたノートです。
漢字とかひらがなとかぐちゃぐちゃで、焦ってる感じがちょっとあほです。





2012年3月5日月曜日

夢を買いました。その5 ~メルボルン行きのチケットを買う。~

まず、パリと同様にHISさんのアプリでメルボルン行きの航空券を調べます。

念のため、いろんなサイトで、メルボルン行きのチケットを調べまくり、相場をチェック。
やっぱり・・・HISアプリやるじゃないの!最安値!!

でかした!

さらに念のため、HISさんの店頭に出向き、メルボルン行きを調べてもらったところ、
「3月から燃料費が高くなるんですよ。2月が決め時かもしれないですね。」
とのお言葉頂きました。

(何度も通っているこのHISさん。実は何も購入していないのに、なんでも丁寧に相談に乗ってくれました。しかし、2回目になると、さすがにめんどくさそうな対応でした。ごめんなさい。海外旅行保険だけでもHISさんの店頭で申し込もうかな・・・)

話は戻ります、


世界情勢に目を向けてみると、やはり価格高騰は免れなそうです。

んじゃ、もう今決めるしかないんじゃない?


一緒にメルボルンへ行く子に確認。

私  「もう年末のチケット取っちゃっていい?往復7万で行けちゃいそうだけど。今だけかも。」
ユコ 「早っ!!ん~・・・ええい、清水の舞台!」








ということで、パリと同時進行でメルボルン行きのチケットを手に入れたのでした。



まぁ、ここまではいい流れでしたよね。

問題はここからなんですよね。

とりあえず次に書くとします。


つづく・・・

2012年3月3日土曜日

夢を買いました。その4 ~同時進行でやってました編~

パリ行は決定したのですが、
その間同時進行で進めていた企画があります!

それは「年末にオーストラリアのメルボルンに行き、年越しするぞ!!」というもの。



①何故メルボルン?
②何故年末?





①・・・友人がワーホリでメルボルンに行くからです!
これは、行くしかないでしょう!
グローバルな友人の最高の夢を応援しにいきます!!

②・・・今年2012年の年末は休みが続いているのです!
私の会社では最高6日間もとれそうでした。
ということで、必然的に決定ですよね。
日本と季節が真逆なオーストラリア。
12月の季節は夏!!

夏なオーストラリアで年越しパーティーする予定です(^^)

わ~い\(^ ^)/


が、しかし・・・

\(^ ^)/

↑↑こんな感じで浮かれていた私。
・・・実はすでに問題が発覚したのでした。


つづく・・・




産まれました!

5月16日に3328gの男の子出産しました! 予定日プラス4日で産まれてきてくれた我が子。 私の出産劇はけっこうドタバタだったのですが、 助産師さんからは 「超安産でしたね☆」 のお墨付きを頂きましたので、きっと安産だったのだと思います。 陣痛中は、苦...